イントロからして超もの悲しいのです、春なのに。
タイトルは「私の春はどこにあるのだろう」といった意。「primavera」はスペイン語で「春」のことですが、四季のひとつである他に、青春時代を表す単語でもあります。「en la primavera de la vida」は「人生の春に」が直訳、つまり「青春時代に」という意味。
日本語でも「青い春」と書いて「青春」。それぞれの成立過程において全く共通点がない二つの言語の単語が持つイメージまで共通しているのは言語学的に珍しいのではないでしょうか。
春という季節が人生の比較的若い時代の生命力や瑞々しさに重なるためでしょうか、言語や民族、文化や伝統が違っても、人間の感性は通底しているのか、考えてみれば不思議なようで、それでいて当然な気もします。
私はあなたに多くの愛の借りがあって
だからもう諦めることにした
あなたに愛されてたのはわかってる
それはちゃんと感じていた
あなたの許しの中で眠りにつきたい
私は自分にこう言い聞かせる
あなたは去ったのではない
旅に出た、ただそれだけなのだと
あなたを思い出し悲しくなったら
思い出を孤独と道連れにやっていこう
私がいないことがあなたにとって
長い旅に出るための大きな翼であって欲しい
多くの経由地の一つである私のことは忘れてしまっても
私はこの無の中ですべてを語り
自分の生き方を探し求めよう
歳月が自分の記憶を閉ざしてしまうまで
私はこう問いかけ続ける
私の春はどこにあるのだろう
太陽はどこに隠れてしまったのか
私の庭を忘れてしまった太陽
魂が私を枯れさせてしまったのか