これはただの歌ではありません。チリ社会を動かした民衆の魂でもあります。
1960-70年代、チリでは「Nueva Canción(新しい歌)」という運動が盛んでした。これは音楽の力により社会の変革を目指そうとしたものです。
この運動の先駆けとなったのがこのVioleta Parra(ビオレッタ・パラ)と言われています。
1973年、サルバドール・アジェンデ政権がアウグスト・ピノチェトによるクーデターにより崩壊、その後のピノチェトの軍事独裁政権によってヌエバ・カンシオンは大弾圧を受けることになります。ある歌手は殺害され、またある者は他国へ亡命を余儀なくされました。
(ちなみにビオレッタはアジェンデの支持者でしたが、アジェンデが大統領になる数年前に拳銃自殺により自ら命を絶っています。)
現代の日本では想像することも難しい、このような社会的背景の中では、この曲がいかに民衆の心に響いてきたことでしょう。
この曲はアルゼンチンのMercedes Sosa(メルセデス・ソーサ)はじめ多くの歌手によってカバーされていて、日本でもやはり「人生よありがとう」の題名で紹介されています。
人生よ、ありがとう
こんなにたくさんのものを与えてくれて
私に輝く瞳を与えてくれて
この目を開ければ
はっきりと見分けられる
白の中に黒も
大空の遥か彼方に輝く星も
この群衆の中に、愛するあの人の姿も
人生よ、ありがとう
こんなにたくさんのものを与えてくれて
私にこの耳を与えてくれて
昼も夜もゆったりと聞こえてくる
コオロギとカナリヤの歌
ハンマー、タービン、犬の声、雨音
そして愛するあの人の優しい声
人生よ、ありがとう
こんなにたくさんのものを与えてくれて
私に音と文字を与えてくれて
私が考え、口にする言葉たちを
母、友、兄弟
そして愛するあの人の魂の道を照らす光を
人生よ、ありがとう
こんなにたくさんのものを与えてくれて
疲れ切った私の足に前に進むことを教えてくれて
この足で町を歩き、水たまりを歩き
海岸から砂漠、山から平野を
そして貴方の家、貴方の道、貴方の庭を歩いた
人生よ、ありがとう
こんなにたくさんのものを与えてくれて
枠を揺さぶり震える心を与えてくれて
人間の脳が生み出した果実を見る時
善が悪から遠く離れているのを見る時
そして貴方の澄んだ瞳の奥を見る時
人生よ、ありがとう
こんなにたくさんのものを与えてくれて
私に笑いをくれて、嘆きをくれて
おかげで私は幸福感と喪失感を見分けられる
私の歌を構成する、この二つを
貴方たちの歌、それは同じ歌
皆の歌、それは私自身の歌
人生よ、ありがとう
こんなにたくさんのものを与えてくれて
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